** 昔の 作品の 写真 **
仏師は 四六時中と 言っていいくらい 仏像など 作品のことを 考えていました 。
どういう作品を どう作るか ・・ということを です 。
体の 小さい割に 毎晩 かなりの量の お酒を 飲んでいましたが
酔っぱらうことで 今までの 概念や イメージから 離れることが 出来て
新しい 発想が 湧き出てくることも 多かったようです 。
今まで この ブログでも 五百羅漢 2 5 0 体を 始めとして
多くの 作品を 紹介させて いただきましたが 、
金丸悦朗が 生み出した 作品は まだ 沢山 あります 。
作品名は ちゃんと 記録には 残してありますが 、
写真が残ってないものが 多いものですから
助手だった私としては 撮っておけばよかったと 今は 残念に 思っています 。
そんな 中 貴重な 写真も ありましたので 紹介させていただきます 。
◎ 《 普賢菩薩 ( ふげんぼさつ ) 》 昭和 5 8 年 頃
材は ビャクシン 総高は 3 0 cm くらいだったと思いますが 、記録が ありません 。
◎ 《 地蔵菩薩 立像 ( じぞうぼさつりゅうぞう ) 》 昭和 6 0 年 頃
第 1 回 の 個展 に 出展しました 。
材は クスノキ 総高は 8 0 cm くらいだったと 思いますが 、これも 記録が ありません 。
大き目の 地蔵菩薩 としては 第 一作で 、端正に 作られましたが 、硬さが 感じられます 。
仏師の 作品としては 顔や 鼻が 長めです。
◎ 《 稲荷三尊像 ( いなりさんぞんぞう ) 》 平成 元年 頃
依頼されて 作ったものです。 材は クスノキ 総高は 25 cm くらいだったと 思います 。
この 2体は 15 cm くらい
神の 使いの 白狐ですが 、衣をまとっているように 作って欲しいとのことでした 。( 約 10 cm )
◎《 不動明王立像 ( ふどうみょうおうりゅうぞう ) 》 平成 元年 頃 クス材 総高 5 0 cm
カルラ炎と 頭部 です 。 →
↓ 首から 下 です 。
この頃の 岩座は 過去の 仏師が 作ったような 形で 作られています 。
その後 お寺から 依頼されたものを 除いて 不動明王の 台座の 多くは
クスノキを ガッカと 刻んでいくようなものか 、
流木を使ったものか どちらかに なっていきました 。
◎ 阿羅漢 《 あなたは 》 平成 13 年作
高さ 1 4 cm 、
幅 1 6 . 5 cm 、
材は クスノキ
望月さん撮影
作品集 ・ 遺作集に掲載
小さい 五百羅漢は 平成 元年から 作り続けていましたが 、
もう少し 大きい羅漢さんを 作りたいという 欲求を 膨らませた 仏師は
平成 1 3 年の 第 1 回 石雲院 個展に
" 阿羅漢 " と 名付けた 1 4 ~ 1 8 cm くらいの 羅漢像を 10 体 出展しました 。
次回の 石雲院での 陶芸家の 成田 尚 氏との 二人展では
木製 阿羅漢も 7 体 出展しましたが 、
仏師が 粘土で 作った 阿羅漢を 成田氏が 焼いて下さるという 共同作業で
" 焼きもの 阿羅漢 " を 2 5 体 出展 いたしました 。
今 わが家には 4 体の 焼きもの 阿羅漢が 庭で 自己主張しています 。
お馴染みの
玄関前の 阿羅漢です 。
《 くつろぎ 毘沙門 ( びしゃもん ) 》 の
焼きものバージョンです 。
釣りを している 羅漢さんです 。
↓ 寝かせて 顔を 見ました 。
厳しい顔を しています 。
これも お馴染みの 主 ( ぬし ) の 羅漢さんです 。
ツタの 葉っぱが 衣の 一部に なってます 。
他の 焼きもの阿羅漢さんたちも それぞれの お宅の 庭で 生きていると 思いますが 、
お求め下さった方から 2枚の 写真を いただきましたので 載せてみます 。
青葉の 季節 ですね 。
梅花が 香る頃ですね 。
楽しんでいただけているようで 、仏師も 微笑んでいました 。
《 宙 踊る ( ちゅう おどる ) 》
平成 1 6 年 ( 2 0 0 4 ) の 二人展に 《 踊る 》 と 題した 作品を 5 点 出しました 。
それぞれ 《 は 》 《 よ 》 《 ほ 》 《 せ 》 《 や 》 という 掛け声を
作品名に してあって 作品の 底に 書いてありますが 、
《 ほ 》 以外は どれが どれだか 今となっては 分かりません 。
《 ほ 》 ↓
売れ残りだった 《 ほ 》 は 平成 2 1 年の 第 5 回 石雲院 個展に 於いて
《 宙 踊る 》 という 新しい作品として 生まれ変わりました 。
台座は カルラ 《 昇天 》 で 不要となった 岩座で 、
内繰りをしてあるのを 利用して あちこちに 穴を 開け 、
中に入れた LEDの 豆電球の 灯りが 穴から 赤光として 出てくるような 仕組みに なっています 。
( 望月さん撮影 、遺作集に 挟んである 嶋田さんの お言葉の 紙の 裏側に 印刷してあります 。 )
光背に なっているのは 仏師 手作りの 石膏ボードでして
サザエの 蓋を 星に 見立てた 宇宙空間を
いろんな 色の 形無き 生命エネルギーが 飛び廻っていて 、
その 中で 踊っている 男 ・・
これも 自刻像の 一つなのでしょうか 。
ボードの 上方に 貼ってある 写真 ・・
キュリー夫人 と マザーテレサ です 。
人間を 人間たらしめる 『 知 』 と 『 情 』 の 象徴として 仏師が 貼ったものです 。
最後の 個展の 後 ( 入院する 前に )
仏師は 宇宙空間で 踊っている 男を 世俗界に 帰還させました 。
《 世俗界へ 》
像は クス材 総高は 1 4 2 cm 、像高は 3 2 cm 、望月さん撮影 遺作集に掲載
全体像の 画像は ありませんが 、
カルラ 《 舞いおりる 》 と 同じように 竹竿から 吊るして
上下にも 、左右にも 、クルクルとも 動くように なっています 。
《 舞いおりる 》
これは ステンレスパイプを 使っていますが 、
《 世俗界へ 》 には 篠竹 ( しのだけ ) を 使いました 。
《 宙 踊る 》 は 遺作展にも 出しましたが 、求められることなく
ミニ展示場に 何年か 展示されていましたが 、
その後 行先が 決まり 、運ばれて 行きました 。
しかし 、後ろの 石膏ボードは その方の お宅には 合わないということで 、
置いて行かれました 。
従って 本当に 踊る男が 世俗界へ 帰還してしまいまして 、
宇宙空間が 凝縮されたような 形で 残されました 。
じっと 見ていますと 、
このボードの どこかに 仏師の エネルギー ( 魂 ? ) が
飛んでいるようにも 思えてきます 。
最近は この 宇宙空間の 中に
唯一 残っている 羅漢さんが 涼しい顔をして 佇んでいます 。
仏師が 弥勒如来の 台座として 使うつもりで 手を入れた ヒノキ材の 上に
小振りの 石を 置き 、その 上に 乗せました 。
この 羅漢さんは 2 5 0 体 の 羅漢群像を 作る前の 習作として