まろ と 純 と ピュア
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《 猫 通信 》
近いうちに 猫の保護と譲渡に関わっていてくださるグループを通して
一人暮らしをしている私の許に 8 歳か 9 歳くらいの 盲目猫の " ちゃー " が 来ます 。
わが家での ちゃーさんの生活を 心配していて下さる方々にお知らせするために
このブログを 利用することにしました 。
2 ヶ月前まで 1 8 年以上 私は 3 匹の 猫と 関わっていましたが 、
ちゃーさんとの生活に入る前に
まろ 純 ピュア の 兄弟猫のことを 振り返ってみたくなりました 。
お付き合いください 。
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** まろ と 純 と ピュア **
ぽや~っとしている 三毛の子猫は " まろ " と 名付けられ 、
程なくして つくば市で 看護師をしていた長女の家族として わが家を 離れました 。
つくば市の 長女の アパートに住んでいた頃の まろです 。
アパート暮らしをしていたまろは 長女の仕事の関係で 1 匹で居ることが多かったのですが 、
何年か経って 長女が 静岡県内の病院に移って来たことをきっかけに わが家に 戻って来ました 。
その頃の我が家には 茶色のオス猫の 純 ( じゅん ) と 黒いメス猫の ピュアが いましたが 、
純が 避妊してあったピュアを襲ったのがきっかけで 兄 妹 ( 姉 弟 ? ) の 仲が悪くなっていまして 、
( ピュアは いじめられたと思い 純を 怖がるようになってしまったのです 。
その後 純も 手術をして子どもっぽくなったのですが 、ピュアとの関係は 悪いままでした 。)
自分だけ 可愛がって欲しいという気持ちが強いまろの帰還で
3 匹の 関係は 更に 悪くなりました 。
争うことの嫌いなピュアは やがて 家を出て
日中は 山小屋工房の 仏師の傍らで 食事をしたり くつろいたりしても
夜は どこかの小屋で過ごすという生活を 何年も 続けることになり 、
( 山小屋工房に 泊まらせようとしても 他の多くの猫たちが動き回っているので
落ち着かないらしく 、上手くいきませんでした 。)
その間の 年 1 回の 予防接種に 連れて行くのには 苦労しました 。
他の家の 猫たちが 身を寄せ合って仲良くしているのを 見るにつけ
「 どうして うちの猫は 仲が悪いのかしら ? 」 と 悲しくなったものです 。
ネコの性格もあったでしょうが 、多分 私たちの可愛がり方に問題があったために
それぞれの猫たちが 自分だけ 可愛がって欲しいという気持ちを強くしてしまったからだろうと
結論づけました 。
ピュアが 再び わが家の 家ネコになったのは
仏師が 他界した翌年 まろが 血液のがんのようなもので死んでしまってからです 。
冬の 寒い夜 恐る恐る入って来たピュアを
純が 歓迎しないまでも 追い出そうとはしなくなっていたので 上手くいきました 。
その頃の 純と ピュアです 。
ピュアが 同居するようになって 5 年 経った昨年 、2匹は 1 8 歳に なりました 。
4月 足の関節に異常が出て 歩行も困難になりかけた頃の ピュアです 。
純は ピュアの死を 認識出来たようでして
その後 不安定になり 、外出したがり 、なかなか帰って来なくなりました 。
1 週間後には 家に居るようにはなりましたが 、食欲が減少し 衰弱し始めたようでした 。
その頃の 純です 。
その後 純も 風呂場に 籠るようになり 、どんどん衰弱して やせ細り 、
ピュアが 死んでから 3 ヶ月経った頃 水も飲まなくなって 静かに 穏やかに 死にました 。
ピュアとは 仲良くはなかった 純ですが 、
それでも 、晩年は 近くで 寝ることもあり 、
お互いの間には わだかまりが無くなっていたのかもしれません 。
私には 純が ピュアの後を追ったように思えてなりません 。
まろ 1 3 年 4 ヶ月 、ピュア 1 8 年 3 ヶ月 、純 1 8 年 6 ヶ月の " 猫生 " でした 。
by kanamaru-etsurou
| 2018-01-10 17:43
| 猫 通信
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