悦朗の 邪鬼像の 流れ
◎◎ 五百羅漢だけを ご覧になりたい方は 右側の カテゴリ 欄の《 五百羅漢 》を お選び下さい。
《 金丸作品と共に・・ 》
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
** 悦朗の 邪鬼像 ( じゃきぞう ) の 流れ **
師匠 西村 房蔵氏から 独立したのが 昭和 5 5 年 ( 1980 、仏師 3 6 歳 ) 、
翌年 千葉県 松戸市から ふるさと静岡市に近い この地 坂部に 引っ越して来てから
仏師は 師匠の 下請け仕事を しながら
従来の 仏像の 製作において 師匠から 学んだ技術を 更に 追求する一方 、
仏像の 範疇から はみ出しそうな 対象と その 表現を 真剣に 追求し始めました 。
それが 迦楼羅 ( カルラ ) 像であり 、邪鬼 ( じゃき ) 像で ありました 。
カルラ像は 以前 詳しく ご紹介しましたので 、
ここでは 邪鬼像を 紹介させて いただきます 。
六邪鬼像は 初めて 個展にて 公開した 邪鬼像でしたが 、
それから 遡ること 10 年以上前 まだ 松戸に居た時から 5 体の 邪鬼像を 作り始めていました 。
① ・・・・・・ 昭和 55 年の 写真が 1 枚 残っています 。
右から 2 番目の やる気満々の 邪鬼は 20 年以上 経ってから 、
庭で見つけた 10 cm くらいの 黄色雀蜂の空の巣 ( 枝付き ) を 背負わされ 、
《 旅立ち 》 と 名前を 付けられて
平成 13 年 ( 2 0 0 1 ) の 第 1 回の 石雲院の 個展に 出展させられました 。
一番左の 爪噛み邪鬼は 後に 子邪鬼像の中にも 作られましたし 、
左から 2 番目の 大笑い邪鬼は 子邪鬼と 小邪鬼の中に 小さく変形した形で 顔を出しています 。
② ・・ 小邪鬼 《 大地に立つ 》 です 。 同年 ( 昭和 5 5 年 ) に 作られました 。
この像は 嵌め込み式になっていまして
仏師が 旅立ってから
仏師の 長年の ファンの方に お譲りしましたので
今は ミニ展示場では 見られません 。
③ 昭和 5 7 年には 高さ 9 cm の 3 体の 《 吞み助 》 小邪鬼が 作られました 。
荒く 仕上げてあります 。
この 3 体の 小邪鬼像は 後に 六邪鬼の 製作に つながっていきます 。
④ 平成 元年 頃に 作られたのが 前回 紹介しました 《 六邪鬼 ( むじゃき ) 》 です 。
⑤ その後 間もなく 子邪鬼像が 作られるようになり 、
平成 5 年には ギャラリーで 【 子邪鬼展 】 を 開かせていただきました 。
子邪鬼像のことでも いろいろ お知らせしたいことも ありますので 、
次回に ご紹介いたします 。
⑥ 平成 6 年の 島田 ・ 釣耕苑 ( ちょうこうえん ) での 個展に
初めて 邪鬼像 《 それがどうした 》 が 出展されました 。
NHKTV の 夕方の " み~つけた ! " という コーナーで
取り上げていただいたのを 機に 2 ,000 人以上の 来場者があり 、
《 それがどうした 》 は ネーミングの ユニークさからも 大いに 注目されました 。
当時 庭で 撮った写真が ありますので 載せてみます 。
遺作集に 載っている像より 若々しく 、優しい感じがします 。
それでも 当時は
凄い 迫力 ! と 言われました 。
クス材 高さ 36 cm
◎ 同時に 出展した 邪鬼 《 よいどれ 》 です 。
( 六邪鬼の中に 同形の 邪鬼像が ありました 。 )
⑦ 平成 9 年の 静岡市の サールナートで 開かせていただいた 個展に
遺作集に 載っている 《 それがどうした 》 が 出展されました 。
この像は 当時 位牌堂に 必要な 仏像を 次々と 依頼してくださった 清水の お寺の 奥様の
お心を 動かすことになり 、
今も お寺の 玄関の 片隅で 「 それがどーした ! ? 」 と 来訪者に 問い掛けています 。
この 石膏原型から 7 体の 《 それがどうした 》 像が 作られましたが 、
全部 違った個性を 与えられ 、
その時点で 仏師が持っていた全てのエネルギーを 注ぎ込まれて いました 。
また 、五百羅漢の 第 二百三 尊者 としても 登場しましたし 、
単尊 として 17 ~ 18 cm の 大きさで 作られた 阿羅漢にも
角が 無い 人間の 形で 登場しました 。
クス材 『 仏師 金丸悦朗 作品集 』 に 掲載
⑧ 平成 19 年 の 個展には 《 在 ( ある ) 》 と 、
像は クス材 、台座は 流木
総高 4 0 cm、像高 23 cm
望月さん撮影 遺作集に掲載
ロウソクを 持った 《 燭 心 在 ( しょくしんざい ) 》 が 世に 出ました 。
《 在 》 は 1 体 だけでしたが 、
《 燭 心 在 》 は もう 1 体 作られ 、
遺作展で 東京の お坊さんに 求められました 。
次回は 子邪鬼像の 流れを 見てみます 。