最後の 弥勒如来粘土原型
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《 金丸作品と共に・・ 》
仏師 金丸悦朗が 尊敬し 、不遜にも ライバルとも 思いたがっていた 大仏師 運慶 。
その 運慶作の 仏像のうち 仏師金丸が もっとも傑作としていたのが 弥勒如来像 。
奈良 興福寺 ( こうふくじ ) の 北円堂 ( ほくえんどう ) に 安置されています 。
弥勒如来の 脇侍 ( わきじ ) として
有名な 無着 ・ 世親 像 も 安置されています 。
← 弟 世親 ( せしん )
遺作となった 《 古 木武 》 の 製作を 終えた 仏師は
まだ 命が あるなら
小さい 弥勒如来を 通して 大仏師 運慶に 挑戦したいと 思い始め 、
経口摂取が 無理に なってきたので 胃瘻 ( いろう ) 造設をして エネルギーを 摂取しながら
弥勒如来の 製作に 励むことにしました 。
少しでも 長く 製作に 取り組めるようにと 浜松の 病院で 再び 放射線治療を 受けることにし 、
入院する前に 以前から計画していた 奈良 北円堂の 弥勒如来に 会う旅に 出掛けました 。
看護師をしている長女が 父との 一泊旅を 計画してくれ 、
父娘 水入らずの 素敵な旅になる筈だったのですが 、
前日に 仏師の具合が 少し悪化したものですから 、私も 同行することにしました 。
( 看護師として かなり実力のある娘でしたから 彼女一人に任せても 大丈夫だった筈ですので
私が 余計なことを しちゃったかな って 今となって 思ったりしていますが ・・ 。)
北円堂での 仏師は 時々 休みながら
いろんな角度から 弥勒如来像を 凝視していました 。
その後 仏像写真で 有名な " 飛鳥園 " に 行き 、
弥勒如来の 写真を 求めましたが 入手出来ず 、
飛鳥園の人に 勧められて 奈良市の図書館に行きましたが 、
歩き回って 疲れてしまった仏師が 椅子に 横になり 、私が さすったりしている間
娘は 資料を探し出し コピーを してくれました 。 ↓
今 ミニ展示場には 一応出来上がった 粘土原型が 置かれています 。
奈良の旅から 入院するまでの5日間に 大体まとめたものを 病室に 持ち込み 、
資料を見たり 図面を 描いたりしながら
原型としては 一応 完成させました 。
( 手前にあるのは 《 阿弥陀来迎 ・ あみだらいごう 》 )
布が かかっているように 彫るつもりだった 台座です 。
ベットの 上で 描いていました 。
この台座 ( ↑ ) を
こちらの ( ↓ ) がっしりした根っこ形の 台座に 被せるような形で
乗せるつもりだったようです 。
《 古 木武 》 を 完成させてからの 仏師は
古木が持っているエネルギーを 更に 注目するようになり、
弥勒如来の 台座には 根っこがガッチリした 大木を イメージしていましたので 、
入院までの 短期間で 大体の形を作ってしまおうと 、
知り合いの 材木屋さんが 調達してくださった ヒノキの丸太を
チェーンソーを使って( チェーンソーアートのように ) バンバン削っていきました 。
根っこから 幹になっていく辺りの処理を間違えて バランスを崩し 、
不安定さを 感じさせるものとなってしまったものですから 、
この 台座は ボツと なりました 。
本人は 退院後 作り直すつもりだったのですが 、それは 叶いませんでした 。
( 時間が無いと 焦っていたためと 、痛み止めの薬を 多用していたために
脳の働きが 鈍くなっていたためと 思われます 。 )
粘土原型を 早めに 終わらせて
私に 星取り ( ほしとり ) ・ 荒彫りをさせて
仏師が 小作り ・ 仕上げをするつもりで 入院したのですが
粘土原型を 何とか 終わらせた頃には
製作意欲が 徐々に 衰え 、緩和薬のために 精神的に 多少 不安定になったりして
私に 星取りを 要求することは なくなりました 。
奈良の旅から ちょうど 1 ヶ月後 仏師は 運慶に 会うために 旅立ちましたが 、
その 5 日前に 退院し 、這うようにして 登った 山小屋工房の
自分の いつもの座椅子に座って
遠くを見つめて 納得したように 頷いていたのが 印象的でした 。
その 1 年後の 遺作展には この 粘土像も 出展して 皆様にも 見ていただきました 。
次回は 遺作展で 皆様に 笑みが見られた 《 六邪鬼 ( むじゃき ) 》 を ご紹介いたします 。