右側のカテゴリの欄で 《 金丸作品と共に 》《 展示場の作品紹介 》 を
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《 金丸悦朗も愛した わが家の植物たち 》
《 金丸作品と共に ・・ 》
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子邪鬼 ( こじゃき ) 《 貝音 ( かいおん ) 》
( 貝で作った楽器を奏する子邪鬼 )
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迦楼羅 《 飛ぶ 》
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羅漢さんの 棚が あった所に 《 くつろぎ 不動 》
《 金丸作品と共に ・・ 》
** 2019年の 可睡斎での展示会 **
今年の夏も "遠州三山 風鈴 まつり " が 行われると思いますが 、
5 年前の 風鈴まつりの 期間中
可睡斎 ( かすいさい ) の 宝物館にて
展示会を 開かせていただきました 。
準備の 都合上 、《 仏師 金丸悦朗 展 》は
5 / 2 9 ~ 8 / 3 1 開かせていただきましたが 、
展示場が あまり大きくなかったために
7 月 半ばに 展示替えを 行いました 。
前期は このように 展示されました 。
奥の方 上方には カルラ 【 飛ぶ 】 →
入り口付近には カルラ 【 風 】
正面の 奥まった所には 【 不動明王 】、左に 【 観音菩薩 】 、右に 【 阿弥陀来迎 】
《 金丸作品と共に ・・ 》
** 木彫りの 大とんぼ **
前から 撮ってみました 。 →
材は クスノキ 、頭から 尻尾までが 2 8 cm 、羽の幅は 3 0 cm あります 。
平成元年に 山小屋工房を 作りましたから
大とんぼも その頃 作ったと 思われます 。
このように 吊ってあります 。
気持ち良さそうに 見えました 。
《 金丸作品と共に ・・ 》
悦朗作品ではないのですが ・・
** 遠州坂部 清水(きよみず)堂の 千手(せんじゅ) 観音立像 **
今から 6 年前になりますが 、2 0 1 8 年( 平成 3 0 年 ) 8 月 1 6 日 に
遠州坂部の 清水堂の 千手観音立像の 2 5 年に 一度の 御開帳が ありましたので 、
ご縁がある私は 特別な気持ちで その日 拝観いたしました 。
この 清水堂は 4 3 年前に 私たち家族が 千葉県 松戸市から 引っ越して来た時に
ちょうど 建て替え工事中だったのですが 、
清水堂の 秘仏 ( ひぶつ ) も 修理して 御開帳しようという話に なっていたそうです 。
その時の 観音像は 何本かの 手が 落ちていて 、
京都の 仏像修理所に 送って 直してもらおうか ・・という話になった時に
坂部に 仏師が 来ることが 教育委員会の 知るところとなり
( 二女の 保育園入所を 松戸市に 居る時に 申し込んだためと 思われます )
私たちが 引っ越して来て 間もなく 修理の 依頼が ありました 。
その時の 教育委員会の 職員の お一人が 今は 尺八演奏家として ご活躍の 繩巻修巳さんでして
繩巻さんとは その後 長く お付き合いすることに なりました 。
( 6 年前の 清水堂の お祭りでも 特設舞台で 演奏を してくださっていました )
これが 秘仏の 千手観音立像です 。
お姿は 等身大ほどではないですが 、かなり 大きくて 立派です 。
手首に 五色の紐が 巻かれていて 、その 紐は 堂外で お参りする人たちにも
千手の観音さまの ご功徳が 伝えられるように なっていました 。
この像は 奈良時代 民衆救済にも 活躍したとされる 僧 行基 ( ぎょうき )が
諸国行脚中に 彫刻したと言われる 3 体の 仏像の 一つだという伝説が ありますが 、
それは 根拠の無いものです 。
ただ 、修理した 金丸仏師の 見立てによれば
平安時代あたりの 腕の良い 仏師による製作で 、造り ・ 形が しっかりしていて
なかなかの 良い出来の 仏像だそうです 。
しかし 、仏像が 粗製濫造された 江戸時代に
いい加減な 修復 ・ 彩色し直しが なされたらしく
その 作品としての 価値は ちょっと 下がってしまっているとのことでした。
この 千手観音立像は 今は 空港になってしまった辺りにあった古い寺院 ( 遺跡が発掘された ) から
川を下って この 清水堂の 地に 流されて来たという 説も あったりで 、
不思議が いっぱいの 仏像です 。
金丸仏師は 「 なんで こんな 田舎に こんな立派な仏像があるんだ !? 」と 言ってまして
「 できたら 体内仏 ( たいないぶつ ・・・ 仏像の 体内空間に 収める 小さい仏像や
その 仏像を 作るに 至った 由縁 ・依頼者 ・仏師名 などが記載してある資料など ) を
取り出して 確かめてみたい ・・ 。 」 と 当時の お坊さんにも 相談してみたのですが 、
「 そっとしておいてほしい 」 と言われ 、断念しました 。
でも 、その後 坂部地区に いろんな 宗教施設の 遺跡が 見つかることになり 、
その度に 「 千手観音立像の 体内仏を 確かめてみたい」という思いを 募らせてきました 。
仏師の 腕だったら 背中の 一部分を 上手く 切り取って 体内仏を 取り出し 、
確かめた後 また 上手く埋め戻すことは 可能だったと 思いますので
私としても 残念に 思っています 。
御開帳から 6 年後の 今年 、
先週の 日曜日 ( 2/11 ) に 清水堂の " 星祭り " の 祭典が ありまして ( 祭典は 年 2 回 )
今年度 世話人の役が回ってきていた私も 祭典の お手伝いをさせていただきましたが 、
4 3 年前の 修理 と 6年前の 御開帳 のことを
感慨深く 思い出していました 。
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