《 金丸作品と共に ・・ 》
ーー 悦朗作品紹介 再び ーー
珍しい依頼品の エピソード
** 杭 ( くい ) で 作った 常不軽菩薩 ( じょうふぎょうぼさつ ) **
これは 作品の 写真が 残ってないので エピソードだけになりますが 、
平成 15 年に 静岡市の ある女子高校から
校舎建て替えにあたり 、
旧校舎の 基礎となっていた " 杭 ( くい ) " を 使って
生徒の 心の 糧ともなるような 像 を 彫って欲しいとの ご依頼が あり 、
常不軽菩薩 ( じょうふぎょうぼさつ ) を 彫らせていただくことにしました 。
常不軽菩薩とは お釈迦様の 前世のお姿とされ 、
相手の中に 仏性 ( ぶっしょう ) を 見出して 相手に敬意を払って 合掌する形で 表されます 。
これは 遺作集に掲載されている
常不軽菩薩 です 。
昭和 62 年作
ビャクシン材
総高は 15 cm
像高は 13 cm
望月さん撮影
杭 ( くい ) は 径が 25 ~ 30 cm の
多分 ひのきの丸太でしたが 、
何十年も 土中に あったものですから 、
木彫には 相応しくない材質に
変化していて
かなり 苦労をしました 。
それでも 何とか
常不軽菩薩と言っていい像に 仕上げ 、
喜ばれました 。
** 大黒柱の 大黒天 ( だいこくばしらの だいこくてん ) **
平成 20 年 ( 仏師 64 歳 ) 、
旧家を壊して 新築した方から 旧家の 大黒柱を 記念に 残したい ・・
ただ 残すというのではなく 、
との ご依頼が ありました 。
ケヤキ材 幅 約 30 cm 、長さ 140 cm 、重さ 60 kg 強 の 大黒柱です 。
大黒天の部分 約 40 cm を 予め 切り取って 像を 彫り 、
それを 柱に 戻して 取り付ける という 仕事でしたら 容易いことだったと 思うのですが 、
切り外さずに 彫って欲しいとの 強い ご要望が ありまして 、
仏師は 「 やってみるか ! 」 と 自分を 鼓舞して お受けしたのです 。
ところが 、普通の人でも 2 人がかりでなくては 動かせない程の 重さの材を
体重が 50 kg 程で 体力には 自信が無い 小柄な仏師が 彫ろうというのですから
容易い訳が ございません 。
大体の 形を 出すまでは 寝かせた状態で 彫って行きましたが 、
私も ほぼ 一日中 付き合って 向きを替える 手伝いを しました 。
重いことに 加えて 、 材は 堅いことで知られる ケヤキ 。
1 日 仕事をしたら 次の日は 休み ・・ というリズムで
石膏原型を 使うということはなく 、直に 彫って
2 ヶ月 くらい かかったでしょうか ・・
そうして 作り上げた 大黒柱の 大黒天 です 。
70 万円で お受けした仕事でしたが 、
完成した時に 仏師は
「 俺は 1 億円くれると言っても もう やらん ! 」 と
言ってました 。
確かに 仏師人生の中で 最も ハードな仕事でした 。
** 槐 ( えんじゅ ) の 木 で 三菩薩 ( ぼさつ ) **
平成 21 年の秋 石雲院個展に 来て下さった北海道の方から
「 大切な木を 切らなくてはならないので その木で 仏様を 彫って欲しい 」 との
ご依頼がありまして お受けしました 。
そして 、翌年になって
北海道の木と言われる 槐 ( えんじゅ ・ 延寿とも書く ) の 木を 受け取りました 。
径が 20 ~ 25 cm くらい、長さ 70 ~ 80 cm の 丸太だったと 記憶していますが 、
それを 縦に 半分に 切って ( " 半割き ・ はんさき " ) 、
作品になった時に 割れが 出たりしないようにしてから 彫り始めました 。
↓ これは お姿の 小作り ( こづくり ・ 仕上げの 前段階 ) を 終えて 、
台座に 着手する前に 撮った 写真です 。
半分にした材を また 接着して 轆轤 ( ろくろ ) を 使って 丸くしてあります 。
観音菩薩像 2 体と 地蔵菩薩像 計 3 体の 菩薩像を 頼まれたものですから
台座用の 円板は 15 枚 用意しました 。
接いだ円板の 木目が 面白いですね 。
この段階で 3 体を 並べてみました 。
そして 完成した 菩薩像 3 体です 。
総高は 約 2 0 cm 、像高は 約 12 cm だったと 思います 。
エンジュという木は チョウナの 柄として使われるような 堅さを持っているとのことで 、
小さいながらも かなり 苦労して 彫っていました 。
思い出や 由緒がある材で 仏 ( ほとけ ) を 彫って欲しいとの お気持ちは
とても良く 解りますが 、
そういう材は 彫刻に 適していない場合が 多いものですから
仏師としては 「 彫ってあげたいけどなあ ・・ 」 と
複雑な 思いを してしまうのです 。
それでも 、頼まれると 彫ってしまっていました 。
次回は 晩年に 作った 寒山拾得 ( かんざんじっとく ) を
画像と エピソードで ご紹介いたします 。