観音菩薩道 観音さま
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《 金丸作品と共に・・ 》
* * 観音菩薩道 ( かんのんぼさつどう ) * *
長女に 依頼されて作った 観音像も
修業しながら 衆生を救って歩く形で 作りました 。
この 像は " もうひとつの 金丸ワールド " の 中の
" 強い 観音菩薩座像 " の ところで ご紹介しました 。 ( 6 / 25 )
これは 望月さん撮影 遺作集に掲載 。
( 遺作集に " 観音菩薩道 《 潤観音 》 " と ありますが 、
" 潤観音 " の " 潤 " は 長女の名前の一部を取ったものでして 、
仏師も 最初から " 潤観音 " と 呼んでいたものですから
遺作集にも その名を 敢えて 載せてみました 。 )
展示棚の 2 体の 釈迦如来座像 の 下の 段に あります 。
取り出して 撮ってみました 。
こちらは " 潤観音 " ではなくて 、あくまでも 《 観音菩薩道 》です 。
ちょっと 下方から 撮ってみましたので 、頬が ふっくら見えますが 、
頬がふっくらしているだけでなく 、肩も撫で肩ですし 、
錫杖 ( しゃくじょう ) を持つ 腕や 肘も 下がっていますし 、
全体的に 潤観音より 柔らかな 優しい感じで 作られています 。
観音さまの 包容力 ・ 受容力を 強調したかったのだと 思います 。
何かを 見上げているように 作ってあります 。
観音の 頭部と 錫杖 ( しゃくじょう ) です 。
錫杖を 持つ 右手と 胸部 です 。
宝珠 ( ほうじゅ ) を 持つ 左手です 。
地を しっかりと 踏みしめて 歩く 足です 。
お顔を もう少し 近くで 見てみます 。
( 出来ましたら 木目に 捉われないで ご覧ください 。 )
この 観音さま 、 夕日を 見ているのでしょうか ?
それとも 、
ほとけのお姿とか 、希望といったものを 見ているのでしょうか ・・。
この 観音像に 関しては ちょっとした エピソードが あります 。
最後になった 2 度目の 入院で
苦痛は和らいだものの 、仏師には もはや 治癒の見込みが少なく 、
本人も 自分の居場所である工房に とても 帰りたがっていましたから 、
看護師だった長女が 休暇を取って 自宅で看取るということで 退院したのですが 、
その時 病室に置いておいた この 観音さまを
ナースステーションに 寄贈させていただいてきました 。
入院患者さんたちに 癒しを 提供出来 、
心を安定させるお手伝いが出来れば ・・と 思ってのことでした。
仏師は 退院して 5 日後
自分の人生を肯定し 納得して 、穏やかに 永眠いたしましたが 、
それから 数ヶ月経って 病院から 観音像を お返ししたいという お話が ありました 。
「 仏像は 死を 感じさせるから 見るのが苦痛だ 」 「 縁起が悪い 」
と言う患者さんが いらっしゃるから・・とのことでした 。
仏師は 「 仏像は 生きている人が 心穏やかに 、前向きに生き抜くための
お手伝いをするものだ 。」 と 言っていましたし 、
私も そう 思っていましたから 、少なからず ショックを 受けましたが 、
もしかしたら 、殆どの方が 『 仏像は 死者のためにある 』 と
思っていらっしゃるのかもしれない ・・ と 思うに至り 、
素直に 受け入れました 。
その後 、 他の仏師の方々が どう お考えになるかは 別として 、
「 少なくとも 金丸悦朗 という仏師は 生きている人のための 仏像を 作ったのだ・・ 」
ということを 少しでも多くの方に ご理解いただきたい気持ちが 募り 、
理解していただくために 私の出来ることをしていこう と 思った次第です 。
この ブログも お役に立っていれば 幸いなのですが ・・ 。
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この 《 観音菩薩道 》 の 後 仏師の作る 観音像は
お寺さんに納める作品とは かけ離れていきまして
仏師自身が 「 こうあって欲しい ・・ 」と思う 観音像 となりました 。
** 《 観音さま 》 **
この 画像は 最後となった 平成 22 年の 個展の 案内状 ( DM ) にも 使われました 。
木曽ひのき材 総高 48 cm 、像高 36 cm 、望月さん撮影 遺作集に掲載
観音像としては 最後の 作品に なりました 。
次回は 観音像の つながりで 、
仏師が 手掛けた 観音像 ( お寺に納めるようなもの ) を
残っている石膏原型と 画像で ご紹介いたします 。