迦楼羅 ( カルラ ) 《 熟想 》
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《 金丸作品と共に・・ 》
千葉県の 松戸市に住んで 浅草の 師匠西村房蔵の工房に通っていた頃の作品です。
昭和 52年作 ケヤキ材 総高 54 cm 、像高 29 cm 望月さん撮影 遺作集に掲載
このカルラ像 、世にある カルラ像とは 著しく 違っています。
迦楼羅とは インド神話に登場する 想像上の巨大な鳥(ガルーダ)で 、
金色の翼を持ち 、口からは火を吐き 竜を常食とする と言われ 、
仏教に 取り入れられてからは 、人格化され 、
仏教を守護して 衆生を救う " 二十八部衆 ( にじゅうはちぶしゅう ) " の一人として
信仰の対象にも なっています。
カルラ像は あちこちの寺院などで 見られますが 、
一番 有名で迫力があり 、仏師も 影響を受けたのが
京都の蓮華王院本堂( 三十三間堂 ) の この カルラ像です。
その 存在感や 迫力に 圧倒されながらも
「 この 小さい翼 、重そうな甲冑では 大空を翔け回ることは出来ないだろう !? 」と思い 、
それから ずっと 考え続けてきました。
その結果 悦朗の カルラ像は
中国の 神仙思想をも取り入れて 羽無し・着流し姿の 達観した仙人の姿となって 登場しました。
その間 、知り合いの鶏肉屋さんから 鶏の頭を頂いて来て
土中に埋めて 頭蓋骨になったところで掘り出して綺麗にし 、
迦楼羅の頭の形を考える上での 参考にしていました。
余談になりますが 、お世話になった鶏の頭蓋骨を加工して
一つのオブジェにしたものが 残っています。
カルラ 第一作は 近くに住んでいる 兄宅にありますので 、
今回 借りて来て 撮らせてもらいました。
別の角度から 撮ってみました。
仏師が生きていて この像を見たとしたら
「 若いな・・。」と 一言 ありそうな気がしますが 、
あの当時には
イメージを 具現化できたことの 満足感のようなものが ありました。
頭部を見てみます。
後のカルラは 飛翔し始めますから
衣の 袖は 振袖のように長くなり 、翼の代わりをするようになっていますが 、
この時には まだ 長くなってはいません。
長くする必要が無かったからかもしれませんが 、
この時点では 仏師の中に 翔け回るカルラのイメージが出来ていなかったのかもしれません。
それでも、カルラが 翔け回る可能性を感じることが出来ます。
体や 手足の 細さです。
尤も、" 霞を食べている仙人 " ですから 痩せ形になるのは 当然ですが・・。
硬いケヤキ材を 槌(つち)と 鑿(のみ)だけで 深く彫っていけたのは
仏師が 若かったという証明でもあります。
ここで もう一つ 、杖のことを 説明させていただきます。
後に 翔け回るカルラが 必ず持っている杖は
" カルラが常食としていた竜の あばら骨 " だそうです。
そのことは 仏師が 最初から決めていたことでして
ちゃんと " 骨 " を 感じさせる杖を 持たせています。
( あばら骨の 接続部が こうなっているかどうかの確認はしていなかったようですが・・。)
このカルラ像は
カルラが いのち・人間・地球・宇宙を見据えた上で
自分が 今 何をなすべきか・・を
じっくりと 考えている姿を 表していると思いますが、
同時に
これから どういう仏師人生を歩んでいこうか・・という
仏師自身の姿を 表しているとも 思われます。
この カルラ像も 粘土原型 → 石膏原型 → ケヤキ材 の経過を辿りましたが 、
20年前に 庭に展示し始めた この石膏原型の残骸が 今も 庭の風景の一つになっています。
石膏像は 雨水に 溶けるのです。 仏師は それを 承知の上で 外に出しました。
( 外に出した石膏原型は このカルラ像を入れて 11体ありましたが、
残骸がある 4体以外は 全て 溶けて壊れました。)
因みに・・仏師が この カルラ《 熟想 》を 思い出しながら作った 羅漢さんがあります。
第 百十一 尊者です。
次回以降 金丸仏師が 手掛けたカルラ像の多くを 紹介させていただきます。